N検イベント

今、中高生に求める「時事力」
近畿大学 総合社会学部 西木 正 教授

 中高生に求める「時事力」についてお話しさせていただくにあたり、まずはニュース検定を導入した経緯も含めて、総合社会学部ではどのようなことをしているのかをお話したいと思います。

■専攻全体で養う時事教養力

 総合社会学部はこの4月に開学したばかりで、近大では11番目の学部です。1学年450人、マンモス校の本学のなかでは一番小さい学部となり、専攻は3種類設置されています。一つ目は、もともと文芸学部に属していた「心理系専攻」、二つ目は理工学部にあった「環境系専攻」、そして三つ目は「社会・マスメディア系専攻」という全く新しいものです。私の所属する「社会・マスメディア系専攻」は1学年210人、2年進級時に「現代社会コース」(約150人)と「マスメディアコース」(約60人)に分かれることになります。

 本専攻は、社会、とりわけマスメディアに高校時代から関心をもつ者、あるいは卒業後にマスメディアの仕事に進みたいという希望を持つ者が集まっています。そのような学生に対する我々の指導は、4本の柱から成っています。

 まず1本目の柱は、時事教養力・一般常識の養成。2本目は、日本語文章力の向上。3本目は、「現場からの新聞論」「現場からの放送論」という授業を通して、第一線の新聞記者、編集者、アナウンサー、報道記者、技術者などからマスメディアの現場の息吹を受け取り、現場を知る学び。そして4本目の柱は、ゼミの徹底です。1年時から「基礎ゼミ」を設置し、大学ではどんな勉強をどう進めるのかを知る、つまり、先生が用意するものを教わるのではなく、学生自らが探究したいことを見つけてテーマを設定して学んでいく、ということを学びます。

 とりわけ、4本柱の一つ目にあげた時事教養力の養成に関しては、「時事教養力養成講座」という授業内での指導に限らず様々な場面で実践しています。例えば、「文章力養成講座」では日々の話題を取り入れた論作文も書かせますし、「現場からの新聞論」では、当然、今現在取材している出来事(=時事)を話してもらいます。「基礎ゼミ」でも私は必ずデイリー、少なくともウィークリーな話題でテーマを拾って投げかけ、調べる機会や考える機会を設けます。このように、本学の社会・マスメディア系専攻では、トータルとして時事の話題を考えていけるように日々の授業を進めています。

■専門科目の指導を左右する基礎的な教養

 今、「時事教養力養成講座」では、もともと予備校やマスコミセミナーで教鞭をとられていた専門の先生が、政治・経済からサブカルチャーまで一通りの基礎的一般常識を1年生に身につけさせています。2年生以降は、専門科目の先生が各分野で今起きていてこれから大きな問題となろう事柄、あるいは今問題になりつつあり将来に渡って日本を動かしかねない事柄などを取り上げて話をしていこうと考えています。その際、問題となるのは授業を受ける学生達の基礎的な教養力です。

 私は以前、別の女子大で時事教養を教えていましたが、その際一番ネックになったのが学生間の一般常識レベルの差でした。社会にある程度興味を持って、新聞を読んでいる、あるいは少なくともテレビやネットでニュースを見ているという学生と、「その話どこかできいたことあるけど全然興味はない」という学生では物事への関心の持ち方が違い、基礎的なところから語っても後者の学生は頭からついてこられない、というケースもあります。そうした時は、集まった学生120人全員がこの問題を全く知らないという前提にし、噛んで含めるように同じ事を2度3度言って理解してもらう、という形でやってきました。例えば、昨年の足利事件再審決定の一件を話すとすると、まず「再審」というものを知っているかどうかわからない。どこからわからないかがわからないから、「日本の裁判は三審制である」というところから話します。<日本で事件を起こして刑事裁判にかかると3回裁判を受けられます。まず、地方裁判所で第一審、そこで有罪になって判決に不満があったら高等裁判所に『控訴』、「もう一度裁判をやり直してください」と訴えることができます。それでまた有罪になって不服があれば、今度は最高裁判所に『上告』、不服だけではダメなので「判決は不服で、この裁判のやり方はここのところに憲法違反があります」ということを理由にしてもう一度訴えることができます。そこでも認められず刑が確定して刑務所に入っても、もう一度新しい証拠が見つかったので裁判をやりなおしてください、と訴えることができます。これが再審請求です。再審請求は認められることが少ないですが、今回の場合はこれだけしっかりした証拠があるのに認められてもらえなかったのはおかしい、ということで再審が認められました>と、全員にここまで話さなければなりません。これではあまりにも効率が悪すぎます。

 そこでまず、学生の一般常識がどれだけのレベルに達しているかセルフチェックをさせ、また先生側もそれを把握した上で指導すべきとして、定期的にニュース検定を受検させることを決定し、まずは今年度6月に総合社会学部で実施しました。秋にはさらに用途を広げ、大学の授業としてあまりに初歩的なところからはじめる必要がないかどうかもチェックしようということで、全学部で実施する予定です。一年に二度のN検で、学生・先生共に実力を全国レベルと比べて確かめる機会を設けたのです。幸い、今の学生は検定に関心が強く、任意で受検するようにしてはいますが反応は結構良いように感じています。

■潜在能力を引き出す仕掛けを

 私の経験から、時事教養について学生の関心・知識が低いと言いましたが、決して彼らの能力が劣っているということではありません。潜在能力は十分にあります。問題は、それをどうやって引き出すか、すなわち学生が関心あることと、これだけは知っていてくれないと困るということをどう結びつけるか、だと思います。

 私はこれまで色々なテーマを取り上げてきましたが、今年は「基礎ゼミ」で毎日新聞の東京・生活報道部の丹野恒一記者が深く取材した連載紙面「境界を生きる」を題材にして、性同一性障害について考えさせました。はじめは難しいだろうかと思いましたが、学生達に馴染みのあるタレントを例に挙げて話をするととても食いつきが良かったです。とはいえ、彼らは単にタレントに対する興味ではなく、性に関する感覚の違いについて興味を持ちました。ある学生3人グループはさらに調べたいと申し出たので、専門の先生を紹介すると、彼らは当事者へのヒアリング、分析、発表へと学びを進めていきました。4月に入学したばかりの1年生で多少粗いところはありましたが、性同一性障害を含めたジェンダーの問題をしっかりと見据えた、問題意識のはっきりした発表になっていたと思います。このように、うまくヒントを与えて関心を引き出すことが出来れば、単に断片的な知識にとどまらない時事問題に対する教養、関心を掻き立てることが出来ると思っています。

 また、タイムリーなところでいうと参議院選挙の話。これについても、いきなり選挙の仕組みやそのあり方について問いかけたり、結果はどうなるんだろうね、と話を振ったところでなかなか食いついてはきません。私は、まずタレント候補の話からします。しかし、学生達は選挙に出ているタレントはほとんど知りません。それではということで、君達が知らないようなタレントが政党の看板として通用し、結構な票が集まってしまう、これは何でだと思う?と考えさせました。こうした人達を選挙に担ぎ出すことによって、今の比例代表制という仕組みの中で各政党にはどんなメリットがあるのか。またそれが、タレント候補達の個人的な利害とどう結びつくのか。そして、今回落ちたのに総選挙に出ればおそらく通るだろうと言われている人もいるが、なぜそういう現象がおきるのか。選挙に出ることで名前を売り、名前が売れればなんだか通ってしまう、そんな日本の選挙の仕組みをおかしいと思わないか?あるいは面白いものだと思わないか?、、、こうして投げかけていくことで、若い人は政治についての実感を持って自分と結び付けて考え、単なる知識でない時事教養力をつけていくのだと思います。

 こうした指導を通して、若者が身につけるべき時事教養力の養成を図っています。中学校や高等学校の段階においても同じく求められる時事力。先生方は具体的にどのように習得させておられるのか、お話をヒントに今後も考えていきたいと思います。